西三河・東三河
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 23:52 UTC 版)
古くは、「三河」といえば西三河が指された。『三河物語』においても、西三河を単に「三河(国)」と言い、牛窪・吉田(豊川・豊橋)辺りを特段に指定する場合「東三河(国)」と呼称している。 幕末に編纂された『徳川実紀』において初めて、「西三河」という呼称が登場する。この頃になって、ようやく三河国を東西に分割して、西三河(矢作川流域)、東三河(吉田川流域)と呼称するようになったと思われる。 現在は旧旭町の一部(旧岐阜県恵那郡三濃村の一部)を除く岡崎市、豊田市、刈谷市、知立市、安城市、碧南市、高浜市、西尾市、みよし市、幸田町が西三河に属し、豊橋市、豊川市、蒲郡市、新城市、田原市、設楽町、豊根村、東栄町が東三河に属している。 該当地域の面積は3,468.23km2、平成22年国勢調査人口は2,329,609人。
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