複数の大陸概念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 02:39 UTC 版)
18世紀末ころには、地理学者の中に南北アメリカを別な大陸と見なし、世界を5つに区分する考えを持つ者が現れだしたが、19世紀にも依然4大陸の概念が一般的だった。 ヨーロッパ人によるオーストラリア発見は1606年だったが、当初そこはアジアの一部と見なされていた。これを独立した大陸とし世界を6大陸とする考えが一部の地理学者から提案されたのは18世紀末のことであった。オックスフォード英語辞典も依然あいまいな表現に止まる中、1813年にサミュエル・バトラーが「地理学者の中には別な大陸名をつけて権威づけるものがいる、広大な面積を持つ島ニューホランド」とオーストラリアを記した。 メガラニカと名づけられた対蹠地として1000年以上前から存在を予言されていた南極大陸は1820年に発見され、1838年に行われたアメリカ合衆国の探検調査にてチャールズ・ウィルクスが最後の大陸と特定した。1849年には大陸として確認されたが、ほとんどの地図には記載されず、これは第二次世界大戦以後にようやく反映された。 19世紀中ごろから、アメリカ合衆国で発行される地図はヨーロッパのそれと異なり、南北アメリカを別の大陸と扱うものがだんだんと増え、二次世界大戦以降の1950年代にはほとんどがそのようになり、現代的な地質学やプレートテクトニクスの理解と一致した。これに南極が加わり7大陸の概念が確立した。 ただし、ラテンアメリカには南北アメリカ大陸をまとめる考えが根強く、またアジアとヨーロッパをユーラシア大陸とみなす概念も依然残っている。
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