補陀洛寺_(鎌倉市)とは? わかりやすく解説

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補陀洛寺 (鎌倉市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 13:21 UTC 版)

補陀洛寺

本堂
所在地 神奈川県鎌倉市材木座1-12-11
位置 北緯35度18分21.4秒 東経139度33分10.1秒 / 北緯35.305944度 東経139.552806度 / 35.305944; 139.552806座標: 北緯35度18分21.4秒 東経139度33分10.1秒 / 北緯35.305944度 東経139.552806度 / 35.305944; 139.552806
山号 南向山(なんこうさん)[1]
院号 帰命院[1]
宗旨 古義真言宗[1]
宗派 真言宗大覚寺派
本尊 十一面観音菩薩
創建年 養和元年(1181年
開山 文覚上人[1]
開基 源頼朝[1]
中興 頼基[1]
正式名 南向山 帰命院 補陀洛寺
別称 竜巻寺
札所等 鎌倉三十三観音霊場第17番札所
文化財 木造十一面観音立像など(本文参照
法人番号 6021005001959
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補陀洛寺(ふだらくじ)は、神奈川県鎌倉市材木座に所在する真言宗大覚寺派寺院山号は南向山。創建養和元年(1181年)で、開山文覚上人開基源頼朝本尊十一面観音菩薩。たびたび竜巻に襲われているため、別名「竜巻寺」とも[2]鎌倉三十三観音霊場第17番札所。

歴史

源頼朝の祈願所として建立された。もと京都仁和寺の末寺で、その後鎌倉市手広青蓮寺の末寺だったが、現在は京都大覚寺の末寺となっている。本尊の十一面観音立像(平安時代)、薬師如来及び両脇侍像(中尊は行基、脇侍は運慶作との伝があるが、江戸時代の作[3]とも)など多くの仏像が安置されており、明治元年に寺が火災で建物は全半壊した際、これらの仏像類が全て無事であったという記録も残っている。

文化財

アクセス

  • 江ノ電和田塚駅より徒歩17分
  • 京浜急行バス鎌倉発逗子駅行き鎌40系統、鎌倉発小坪行き鎌41系統材木座バス停より徒歩2分
  • 駐車場なし

脚注

  1. ^ a b c d e f 新編鎌倉志 1915, p. 126.
  2. ^ かまくら春秋社『鎌倉の寺 小事典』p.134
  3. ^ 『鎌倉仏像めぐり』、p.54
  4. ^ 仏像の年代は『鎌倉仏像めぐり』、pp.52 - 54による。以下も同じ。

参考文献

関連文献

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