藤田たきとは? わかりやすく解説

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藤田たき

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/18 17:48 UTC 版)

1947年

藤田 たき(ふじた たき、1898年12月23日 - 1993年1月4日)は、大正平成期の婦人運動家教育者

来歴

愛知県名古屋市橦木町(現在の東区)出身。1920年女子英学塾を卒業し、アメリカブリンマー大学留学する。帰国後、母校の教壇に立ちながら婦人問題について研究を重ね、1928年の汎太平洋婦人会議に市川房枝とともに日本代表として参加、婦人参政権運動や婦人問題研究所創設に尽力した。戦後、大学婦人協会会長・婦人問題審議会会長に就任し、1951年から4年間、労働省婦人少年局長を務めた。また、日本における女子大学創設に尽力し、自らも1961年に女子英学塾の後身である津田塾大学学長に就任した。また、国連婦人の地位委員会会長などを務め、国際舞台の場でも女性の地位向上に尽くした。1950年第2回参議院議員通常選挙全国区から緑風会公認で立候補したが落選した[1]

テレビ出演

脚注

  1. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』541頁。

参考文献




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