藤原盛経とは? わかりやすく解説

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藤原盛経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/12 03:13 UTC 版)

 
藤原 盛経
時代 平安時代後期-鎌倉時代中期
生誕 応保元年(1161年
死没 嘉禎元年(1235年
別名 (号)四条
官位 従三位勘解由使長官
主君 安徳天皇後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇
氏族 藤原北家真夏流
父母 父:藤原俊経、母:藤原有盛の娘
兄弟 顕行、親経盛経、俊厳、九条光長室、女子
小槻広房の娘
信盛、季盛、良盛、盛厳、教盛
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藤原 盛経(ふじわら の もりつね)は、平安時代後期から鎌倉時代中期にかけての公卿藤原北家真夏流参議藤原俊経の子。官位従三位勘解由使長官四条と号した。

経歴

治承4年(1180年文章生に補せられ、養和元年(1181年)方略に及第する。元暦元年(1184年叙爵し2年間受領となる。文治2年(1186年宮内権少輔に任ぜられ、同職を8年間務める。建久5年(1194年正五位下に昇進し、翌建久6年(1195年薩摩守となり地方官へ遷任。

正治元年(1199年治部権少輔を兼ねる。元久元年(1204年右少弁に任ぜられると、建永元年(1206年左少弁承元元年(1207年従四位下権右中弁、承元2年(1208年左中弁、承元3年(1209年従四位上左大弁後鳥羽院政期で急速に昇進を重ねる。

承元4年(1210年正四位下勘解由使長官に昇進。建暦元年(1211年従三位に昇進して公卿となった後も17年間長官を務める。安貞2年(1228年出家嘉禎元年(1235年)薨去、享年75。

官歴

公卿補任』による

系譜

参考文献

脚注

  1. ^ a b c d e f g 尊卑分脈
  2. ^ a b 公卿補任
  3. ^ 近藤敏喬『宮廷公家系図集覧』(初版)東京堂出版、東京都千代田区神田錦町3-7、1994年、22頁。doi:10.11501/13134523ISBN 4-490-20243-1https://dl.ndl.go.jp/pid/13134523/1 



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