藤原盛経
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| 時代 | 平安時代後期-鎌倉時代中期 |
| 生誕 | 応保元年(1161年) |
| 死没 | 嘉禎元年(1235年) |
| 別名 | (号)四条 |
| 官位 | 従三位、勘解由使長官 |
| 主君 | 安徳天皇→後鳥羽天皇→土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇 |
| 氏族 | 藤原北家真夏流 |
| 父母 | 父:藤原俊経、母:藤原有盛の娘 |
| 兄弟 | 顕行、親経、盛経、俊厳、九条光長室、女子 |
| 妻 | 小槻広房の娘 |
| 子 | 信盛、季盛、良盛、盛厳、教盛 |
藤原 盛経(ふじわら の もりつね)は、平安時代後期から鎌倉時代中期にかけての公卿。藤原北家真夏流、参議・藤原俊経の子。官位は従三位・勘解由使長官。四条と号した。
経歴
治承4年(1180年)文章生に補せられ、養和元年(1181年)方略に及第する。元暦元年(1184年)叙爵し2年間受領となる。文治2年(1186年)宮内権少輔に任ぜられ、同職を8年間務める。建久5年(1194年)正五位下に昇進し、翌建久6年(1195年)薩摩守となり地方官へ遷任。
正治元年(1199年)治部権少輔を兼ねる。元久元年(1204年)右少弁に任ぜられると、建永元年(1206年)左少弁、承元元年(1207年)従四位下・権右中弁、承元2年(1208年)左中弁、承元3年(1209年)従四位上・左大弁と後鳥羽院政期で急速に昇進を重ねる。
承元4年(1210年)正四位下・勘解由使長官に昇進。建暦元年(1211年)従三位に昇進して公卿となった後も17年間長官を務める。安貞2年(1228年)出家。嘉禎元年(1235年)薨去、享年75。
官歴
『公卿補任』による
- 治承4年(1180年) 2月14日:文章生
- 寿永2年(1183年) 12月21日:式部丞
- 元暦元年(1184年) 正月6日:叙爵(従五位下)。3月27日:美濃権守
- 文治元年(1185年) 4月3日:伊予守
- 文治2年(1186年) 2月30日:宮内権少輔
- 文治3年(1187年) 12月4日:従五位上
- 建久5年(1194年) 正月6日:正五位下
- 建久6年(1195年) 2月2日:薩摩守
- 正治元年(1199年) 12月9日:兼治部権少輔
- 元久元年(1204年) 4月12日:右少弁
- 建永元年(1206年) 10月10日:左少弁
- 承元元年(1207年) 10月29日:権右中弁。10月30日:従四位下
- 承元2年(1208年) 7月9日:左中弁
- 承元3年(1209年) 正月13日:右大弁。4月14日:左大弁。10月30日:従四位上
- 承元4年(1210年) 12月17日:正四位下、勘解由使長官
- 建暦元年(1211年) 正月5日:従三位
- 安貞2年(1228年) 7月11日:出家
- 嘉禎元年(1235年)某月某日:薨去(享年75)
系譜
参考文献
- 近藤敏喬『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年、ISBN 4-490-20243-1。
脚注
- 藤原盛経のページへのリンク