藤原家範とは? わかりやすく解説

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藤原家範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/14 06:02 UTC 版)

 
藤原家範
時代 平安時代後期
生誕 永承3年(1048年
死没 保安4年9月15日1123年10月6日
官位 正四位下大膳大夫
主君 後三条天皇白河天皇堀河天皇鳥羽天皇
氏族 藤原北家隆家
父母 父:藤原師家、母:藤原泰憲の娘
兄弟 家範、光家、勝覚、永仁
藤原家子(藤原家房の娘)
藤原盛実の娘
基隆、家保、宗隆、範経、範覚、行範
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藤原 家範(ふじわら の いえのり)は、平安時代後期の貴族藤原北家隆家流、右中弁藤原師家の子。官位正四位下大膳大夫

経歴

権大納言藤原経輔の孫に生まれ、父・師家も順調に昇進するが康平元年(1058年)に右中弁のまま32歳で早世してしまう。そのため家範も昇進が遅れ、治暦3年(1067年)に遠江守をはじめ、安芸守和泉守などの地方官や、右近衛少将大膳大夫を務めるも位階正四位下に止まった。保安4年(1123年)9月15日卒去。享年76。

官歴

系譜

脚注

  1. ^ a b c 『魚魯愚鈔』
  2. ^ a b c 『中右記』
  3. ^ 『中右記部類』第七 臨時五番。藤原宗俊の日記か
  4. ^ 尊卑分脈』。藤原基隆の娘ともいう。年代的に基隆の娘とするのが妥当か。

参考文献

  • 尊卑分脈
  • 山口希世美「院政期天皇の乳母の選任について」『佛教大学大学院紀要 文学研究科篇 48』佛教大学大学院、2020年
  • 宮崎康充編『国司補任 第四,第五』続群書類従完成会、1990年



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