薬丸新蔵とは? わかりやすく解説

薬丸兼成 (新蔵)

(薬丸新蔵 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 04:35 UTC 版)

 
薬丸 兼成
時代 江戸時代中期
生誕 不詳
死没 嘉永3年(1850年
改名 :兼成
別名 通称:新蔵
幕府 江戸幕府
薩摩藩
父母 父:薬丸兼武
兄弟 兼義(半左衛門)兼成
テンプレートを表示

薬丸 兼成(やくまる かねしげ)は江戸時代中期の薩摩藩士剣客通称は新蔵。は兼成。一般には薬丸新蔵として知られる。薬丸兼武の次男。兄の兼義(半左衛門)と同じく薬丸自顕流の達人として剣聖と称された。

経歴

文政10年(1827年)7月、初お目見え、天保3年(1832年)、父が屋久島遠島。天保14年(1843年)、兄が大島蔵方目付となり、奄美大島に赴任。任期は2年間であったので、この間兄の代理として指導した。弘化元年(1844年)、兄が任期満了につき帰鹿。嘉永3年(1850年)、死去

人物

  • 薬丸兼武の厳しい指導の下、兄の兼義とともに薬丸流の修行に励んだ。父が流罪となったため家が貧窮し、兄弟はかぼちゃばかり食べて暮らしたため、「かぼちゃ薬丸どん」と呼ばれた。
  • 天保年間の軍制改革により薬丸流は復権したが、後に寺田屋騒動で活躍した鈴木勇右衛門の起請文の宛名が兄の半左衛門と新蔵の連名となっていることから、両名で薬丸流を指導していたようである。
  • 多くの弟子を指南したが兄に先立ち死亡した。

参考文献

  • 「鹿児島市史III」
  • 松下志郎「奄美資料集成」南方新社

薬丸新蔵(やくまる しんぞう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 02:51 UTC 版)

空也十番勝負」の記事における「薬丸新蔵(やくまる しんぞう)」の解説

薩摩藩領内加治木道場日々厳し稽古を積む野太刀流の若き遣い手薩摩藩御家流儀である東郷示現流対抗意識燃やしている。薩摩藩内で行われた具足開き空也対戦した後に、野太刀流の武名上げよう江戸へ旅立つ。やがて尚武館道場訪れ、磐音の知遇得て小梅村住み込むことになり、その後三十間堀三原近く野太刀道場開き、長左衛門兼武に改名した

※この「薬丸新蔵(やくまる しんぞう)」の解説は、「空也十番勝負」の解説の一部です。
「薬丸新蔵(やくまる しんぞう)」を含む「空也十番勝負」の記事については、「空也十番勝負」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「薬丸新蔵」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「薬丸新蔵」の関連用語

薬丸新蔵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



薬丸新蔵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの薬丸兼成 (新蔵) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの空也十番勝負 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS