蓬萊昭彦とは? わかりやすく解説

蓬萊昭彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/03 08:54 UTC 版)

蓬萊 昭彦
2010年11月23日、横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本
出身地 熊本県熊本市中央区
生年月日 (1957-04-24) 1957年4月24日(68歳)
身長
体重
166 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1979年 ドラフト4位
初出場 1980年4月5日
最終出場 1987年8月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴

蓬萊 昭彦(ほうらい あきひこ、1957年4月24日 - )は、熊本県熊本市出身(岡山県岡山市生まれ)の元プロ野球選手外野手)・コーチ解説者

来歴・人物

岡山で生まれ、国体にも出場した父に野球を教わる。中学1年時に熊本へ移り、投手となる。熊本工業高校では最初は一塁手であったが、監督の指導で再び投手となり、瀬高啓介(熊本鉄道管理局-熊本工監督)と投の二本柱を組む。3年次の1975年には春の選抜に出場し、2回戦(初戦)で杉村繁を擁する高知高を相手に先発するが、延長11回の末に4-5で敗れた。高知高はこの大会で優勝。同年夏は県予選を勝ち抜き中九州大会に進むが、準決勝で津久見高谷崎浩二に抑えられ惜敗、甲子園出場はならなかった。高校卒業後は1976年西南学院大学へ進学し、2年上にエース・門田富昭がいたため外野手に転向。1年次の同年からレギュラーとなり、首位打者を獲得するなど活躍。九州六大学リーグでは優勝に届かず、2位4回に留まった。ベストナイン2回。

1979年のドラフト4位で西武ライオンズに入団。入団発表の前日に、上京したホテルで父が急死している。1年目の1980年のキャンプでは首脳陣や評論家からもその素質を高く評価され[1]、開幕から外野の準レギュラーとなる。4月5日日本ハムとの開幕戦(後楽園)で7回裏に左翼手で途中出場し、プロ入り初出場を果たした。同8日南海戦(西武)に8番・左翼手でプロ入り初の先発出場を果たし、2回裏に佐々木宏一郎から犠飛を放ちプロ入り初打点を記録。12日近鉄戦(西武)で2回裏に村田辰美から先制適時打を放ちプロ初安打を記録し、5月11日の近鉄戦(藤井寺)では途中出場ながらも3打数3安打を放つと、翌12日の近鉄戦(日生)では先発で起用され3回表に柳田豊から同点2ランを放ちプロ初本塁打を記録。その後は、打撃面では特に目立った活躍はできなかったが、外野守備では99回のあった守備機会で僅か1失策と堅守を見せた。外野の守備で首脳陣からの信頼を得て、シーズン終了まで一軍に定着し続け新人ながら109試合に出場、シーズン最終盤には1番に起用され、近鉄の後期優勝がかかった10月11日の試合では鈴木啓示から先制3ランを放つなど活躍した。2年目の1981年には34試合に先発出場、15試合に1番打者として起用される。3年目の1982年には「大型野球」から「緻密な野球」を目指す広岡達朗新監督の方針もあり、6月から2番・中堅手に定着。シーズン終盤には失速し先発から外れるが、19年ぶりのリーグ優勝と24年ぶりの日本一に貢献[2]。同年の中日との日本シリーズでは第3戦、第5戦に代打として起用される。1983年以降は出場機会が漸減し、1985年には打率.346でイースタン・リーグの首位打者を獲得するも、1986年オフに金銭トレードで中日ドラゴンズへ移籍。新天地では計14試合の出場に留まり、1988年に現役を引退。

引退後は故郷の熊本に戻り、家業であるの製造販売業を継ぐ傍ら、衛星チャンネル→朝日ニュースター「サテライトナイター」解説者(1990年 - 1993年)も務めた。その後は東尾修から「シニアリーグを立ち上げるので監督をしてみないか」と誘われ、1994年から世田谷西シニアリーグ監督を務める[3]。また、自ら運営に参加する加圧ジムトレーナーも兼務し、プロ野球マスターズリーグ・東京ドリームスの選手としても活躍した。2010年からはシニアリーグでの選手育成手腕を買われ、横浜ベイスターズ二軍「湘南シーレックス」育成コーチに就任し22年ぶりに球界に復帰。2013年からは一軍外野守備・走塁コーチを務めたが、2014年10月8日に球団から来季の契約を結ばないことが発表された[4]。DeNA退団後は世田谷西シニアでの指導に戻り、総監督を務めている[5]2025年からはTBSチャンネルの野球解説者としても活動する。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1980 西武 109 137 121 20 25 2 1 2 35 9 2 4 4 1 11 0 0 13 4 .207 .271 .289 .560
1981 74 147 130 24 32 8 2 1 47 7 1 3 4 0 11 0 2 10 1 .246 .315 .362 .676
1982 80 218 180 22 39 1 1 2 48 15 3 5 16 2 17 0 3 16 2 .217 .292 .267 .559
1983 29 33 27 4 6 2 0 1 11 4 1 0 4 1 1 0 0 2 1 .222 .241 .407 .649
1986 3 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1987 中日 14 23 20 5 5 2 0 0 7 1 0 0 1 0 2 0 0 5 0 .250 .318 .350 .668
通算:6年 309 559 479 76 107 15 4 6 148 36 7 12 29 4 42 0 5 46 8 .223 .291 .309 .600

記録

背番号

  • 43 (1980年 - 1986年)
  • 14 (1987年 - 1988年)
  • 70 (2010年 - 2011年)
  • 74 (2012年 - 2014年)

著書

脚注

  1. ^ 1980年ライオンズファンブックより。
  2. ^ 週刊サンケイ、1982年4月15日号、32頁
  3. ^ 西南学院大学広報誌 SEINAN SPIRIT
  4. ^ 2015年度 コーチ契約についてDeNA球団公式サイト2014年10月8日配信
  5. ^ 東京都 中学硬式 世田谷西リトルシニア 蓬莱総監督インタビュー”. 少年野球情報・監督インタビュー. 2023年8月19日閲覧。

関連項目

外部リンク





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