著名なベルチョラリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 16:40 UTC 版)
「ベルチョラリツァ」の記事における「著名なベルチョラリ」の解説
多くのベルチョラリはその愛称で知られる。愛称はバシェリ(バスク農家の家屋)の屋号に由来する場合、自身の名前に由来する場合などがある。アラバ県、ビスカヤ県、ギプスコア県、ナバーラ県の4地域はスペイン領バスク(南バスク)、ラブール、スール(英語版)、バス=ナヴァールの3地域はフランス領バスク(北バスク)である。 歴史的に著名なベルチョラリには農民が多く、書き留められる機会に恵まれなかった詩人が多い。ラブールでもっとも有名なベルチョラリであるマティン・イラボラは文字を読むことも書くこともできなかった。エチャフンが経験した悲劇をドイツの詩人アーデルベルト・フォン・シャミッソーが1829年に「バスク人エチャフンの嘆き」という四行詩19連の詩に歌い、ベルチョラリの名が世界に広まった。ボルドー大学のジャン・ハリチェリャルはエチャウンの全集の刊行と詳細な研究を行った。ホセ・マリア・イパラギーレは1830年代末の第1次カルリスタ戦争後に国外に逃れ、イタリア、フランス、イギリスを吟遊してから1851年にスペインに戻った。イパラギーレがマドリードで歌った「ゲルニカの木」はバスク人に愛され、バスク国歌のひとつとされている。
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