草津と湯の沢部落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 05:58 UTC 版)
「コンウォール・リー」の記事における「草津と湯の沢部落」の解説
草津には千年以上前から湯治の人が訪れたが、明治2年(1869年)の大火以来ハンセン病患者が増えてきた。東京大学内科エルヴィン・フォン・ベルツ教授が温泉の効果を宣伝したこともある。1887年以来ハンセン病の人々は草津の湯之沢に移住させられた。ここでは病者の自治と権利が認められた。神山復生病院第3代院長ベルトランは1897年視察し、病院を作ろうとしたが妨害に会った。 ハンナ・リデルは1913年米原司祭を派遣し、キリスト教に関心がある人々が光塩会(こうえんかい)を設立した。これはバルナバ教会の前身である。 光塩会の中心的働きをした宿澤薫は当時牛込聖バルナバ(St. Barnaba)教会にいたリーを知った。宿澤はリーを訪ね、草津を訪れることを請願した。これに応えてリーは1915年に草津を視察し、草津湯の沢で奉仕することを決心した。らしい。
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