草文金の鋳造量
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 17:00 UTC 版)
『旧貨幣表』によれば、小判および一分判の合計で11,043,360両である。 吹替えにより幕府が得た出目(改鋳利益)は文政元年(1818年)から文政9年(1826年)までの9年間で二分判を含めて1,848,540両であった。さらに銀座『御用留便覧』によれば文政3年(1820年)から天保6年8月(1835年)までの15年間に新文字銀、新南鐐二朱銀、寛永通寳真鍮四文銭および南鐐一朱銀による出目は3,838,576両に上った。 金座における鋳造手数料である分一金(ぶいちきん)は鋳造高1000両につき、手代10両、金座人10両2分、吹所棟梁4両3分であった。
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