若竹又男とは? わかりやすく解説

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若竹又男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/04 09:46 UTC 版)

若竹 又男(わかたけ またお、1886年明治19年)1月15日[1]1955年昭和30年)4月11日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将熊本県荒尾市長

経歴

熊本県に木庭藤八の四男として生まれ、若竹里操の養子となった[2]1906年(明治39年)、陸軍士官学校を卒業[3]1907年(明治40年)に陸軍少尉に任官し、1935年(昭和10年)に陸軍少将に昇進した。その間、陸軍大学校を卒業し、参謀本部部員、陸軍航空本部部員、関東軍司令部附、飛行第4連隊長、航空本部補給部各務原支部長、明野陸軍飛行学校幹事、同校長を歴任した。1937年(昭和12年)、予備役に編入[2]

1939年(昭和14年)より郷里で農園を経営していたが[2]1942年(昭和17年)に初代荒尾市長に選出された[3]。終戦後の1945年(昭和20年)に荒尾市長を辞任、その後、公職追放された[4]

栄典

勲章

脚注

  1. ^ a b 日本陸軍将官辞典 2001.
  2. ^ a b c 人事興信録 1941.
  3. ^ a b 人事興信録 1943.
  4. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛体制協議会構成員翼賛球磨郡荒尾市支部長」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、711頁。NDLJP:1276156 
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下巻』人事興信所、1941年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下巻』人事興信所、1943年。 
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。 



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