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坂田昌亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/30 22:22 UTC 版)

坂田昌亮
さかた まさあき
生年月日 1890年5月17日
出生地 日本 熊本県八代郡八代町
(現・熊本県八代市
没年月日 (1960-12-24) 1960年12月24日(70歳没)
出身校 東京帝国大学工科大学土木工学科卒業
前職 神戸市技監兼港湾局長

当選回数 3回
在任期間 1952年5月20日 - 1960年12月24日

当選回数 1回
在任期間 1947年4月5日 - 1951年4月4日
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坂田 昌亮(さかた まさあき、1890年5月17日[1] - 1960年12月24日[1])は、日本の技術者、政治家。内務省技師、満州国交通部技監などを務めて土木行政に携わったのち、八代市長荒尾市長を歴任、2つの地方工業都市の首長を務め、戦後の復興に尽力した。

経歴

熊本県八代郡八代町(現在の八代市)出身。1913年(大正2年)、東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業[2]

大学卒業後、内務省土木局の技師となり、1917年(大正6年)、最上川改修、酒田築港の任に当たった[3]

1937年(昭和12年)より、満州国へ赴任、道路司長、技監として哈大道路の建設など、道路行政に携わった[4]。1943年(昭和18年)に本土に引き上げ、神戸市技監兼港湾局長を務めた[1]

1947年(昭和22年)、公選初の八代市長に選出された。都市計画など市の戦後復興に努めたが、2期目続投を目指した市長選で落選した。

1952年(昭和27年)、荒尾市長に選出された。市の労働会館、運動公園、道路網の整備などを行い、戦災によって荒廃した炭鉱都市の復興に努めた[2]。3期目の任期中に死去[1]

著書

中村左衛門太郎; 坂田昌亮『熊本の治水策;水害と白川改修の方策』熊本日日新聞社、1953年。 NCID BA48124196 

脚注

  1. ^ a b c d 近代日本土木人物事典 2013, 87-88頁.
  2. ^ a b 熊本昭和史年表 1976, 440頁.
  3. ^ 最上川河口史”. (有)サカタ志田工務店. 2016年1月9日閲覧。
  4. ^ 橋本政子「満洲国 哈大道路に関する史的研究」『土木学会論文集D2(土木史)』第70巻第1号、公益社団法人土木学会、2014年、43-52頁、doi:10.2208/jscejhsce.70.43 

参考文献

  • 熊本日日新聞社編集局『熊本昭和史年表』熊本日日新聞社、1976年。ASIN B000J9DMI4 
  • 高橋裕、藤井肇男 共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。 ISBN 4306094294 





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