花形ボクシングジムへ移籍
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花形ボクシングジムに移籍後、福島仕にリングネームを変更。 2007年10月15日、花形ジム移籍初戦目は1階級上の日本スーパーバンタム級2位瀬藤幹人。序盤から瀬藤優位で試合は進み、ダウンを食らっての5RTKO負を喫した。 2007年12月、リングネームを本名の福島学に戻す。親戚から「親からもらった名前を何故変える」と評判が悪く、そのことを相談した所属ジムの花形進会長から「あんな読めない字、やめろよ」と言われ、リングネーム変更後に試合に負けたこともあって、1試合しただけで本名に戻した形となった。 2008年5月25日、日本スーパーバンタム級4位の三浦数馬と青森県で8回戦を行う。初の東京以外での試合であったが3Rに偶然のバッティングで福島の左眉から出血し負傷ドローに終わった。同年後半は8月12日の栗田貴之戦に2-1、11月13日の丸山有二戦に3-0のいずれも負傷判定勝利となった。 2009年3月7日、日本バンタム級7位として4位久永志則とのバンタム級8回戦を行い、この試合でも偶然のバッティングにより右目上をカットし、5Rまでの採点で3-0の負傷判定勝利となった。 2009年6月8日、小野沢洋次郎とのフェザー級8回戦に3-0の判定勝利を収めた。天笠尚に0-2判定負け後の12月28日、日本スーパーバンタム級7位として同フェザー級8位の上野則之とフェザー級8回戦を行い、初回KO負けを喫した。
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