良弼とは? わかりやすく解説

りょう‐ひつ〔リヤウ‐〕【良×弼】

読み方:りょうひつ

よい補佐の臣。良佐。良輔(りょうほ)。


良弼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/21 03:26 UTC 版)

良弼
プロフィール
出生: 1877年光緒3年)
死去: 1912年民国元年)2月
北京
出身地: 四川省成都府
職業: 軍人・政治家
各種表記
繁体字 良弼
簡体字 良弼
拼音 Liángbì
和名表記: りょうひつ
発音転記: リャンビー
テンプレートを表示

良弼(りょうひつ、リャンビ、1877年 - 1912年1月29日)は、末の軍人・政治家。満洲族愛新覚羅氏の出身で、太祖ヌルハチの弟のバヤラ(巴雅喇)の末裔である。両広総督イリブの孫。満州鑲黄旗に属する。

事跡

日本に留学し、1903年光緒29年)、陸軍士官学校第2期歩兵科を卒業する。帰国後は練兵処調処差委となった。1904年(光緒30年)、練兵処軍学司監督となり、さらに新軍第6鎮第23標標統に転じた。1905年(光緒31年)、練兵処軍学司副使に任ぜられ、あわせて軍事教育を司る各職を兼任する。

1907年(光緒33年)、陸軍部軍学司司長に昇進した。1908年(光緒34年)12月、禁衛軍第1協統領に任ぜられる。1910年宣統2年)、載濤に随従して欧米へ軍事視察に赴いた。辛亥革命勃発後の1911年(宣統3年)12月、鑲白旗漢軍副都統兼軍諮府軍諮使に異動した。

1912年民国元年)1月、愛新覚羅溥偉鉄良らと宗社党を結成し、清朝擁護の活動を図った。しかし同月26日、良弼は革命派の刺客、彭家珍が仕掛けた爆弾を受け重傷を負い、1月29日、回復せぬまま死亡した。

参考文献

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 馬洪武ほか主編『中国革命史辞典』档案出版社、1988年。 ISBN 7-80019-054-4 



良弼と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「良弼」の関連用語

良弼のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



良弼のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの良弼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS