與儀達敏とは? わかりやすく解説

与儀達敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 10:15 UTC 版)

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与儀 達敏
よぎ たつびん
与儀達敏(1961年頃に撮影)
生年月日 1901年5月19日
出生地 沖縄県宮古郡下地村(現宮古島市
没年月日 (1965-02-25) 1965年2月25日(63歳没)
死没地 米国統治下の沖縄(現・ 日本 沖縄県

第5代 琉球政府立法院議長
在任期間 1956年4月12日 - 1958年3月31日

在任期間 1952年4月1日 - 1953年12月26日
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与儀 達敏(よぎ たつびん、與儀 達敏、1901年5月19日 - 1965年2月25日)は、宮古民政府及び琉球政府政治家1956年4月から1958年3月まで立法院議長を務めた。沖縄県宮古郡下地村(現宮古島市)出身。

経歴

明治34年(1901年)5月19日生まれ。昭和4年(1929年)に東洋大学専門部倫理科を卒業し、地元の沖縄県立宮古中学校(現沖縄県立宮古高等学校)の教諭となり、教職に就いた。

沖縄戦後は、宮古民政府の副知事に就任した。1952年第1回立法院議員総選挙に当選し立法院議員となった。

そして、比嘉秀平とともに新党結成に奔走し、「琉球民主党(後の沖縄自由民主党)」を立ち上げた。

行政主席の比嘉秀平の下で行政副主席を務めた後、立法院議長に選ばれた。

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