職業紹介所設置法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 01:02 UTC 版)
「ハーバート・ヘンリー・アスキス」の記事における「職業紹介所設置法」の解説
さらに1909年には商務大臣チャーチルの主導で職業紹介所設置法(英語版)が可決成立した。 これにより、これまで地方公共団体が設置運営していた職業紹介所は中央政府が直接に設置運営することになり、職業紹介所をイギリス全国に大幅に増やすことが可能となった。この法律は失業にあえいでいた当時のイギリス国民からは歓迎され、アスキス内閣の基盤の強化に資した。 だが、この法律も隠された保守的な意図があった。職業紹介所の設置で労働の市場化を押し進め、資本家が「最適の労働者」を見つけやすくしたのである。労働組合もこれを予見しており、「労働組合の規定で定める賃金以下で労働者がかき集められる危険性がある」としてこの法律に反対した。労働党も「失業保険制度もない、失業対策事業もしない、労働者の再教育もしない、ただ職業紹介所を置くだけというこの法律では、労働権が確立したなどとは到底言えない」と批判した。 結果、労働党の労働権確立を求める運動は弱まるどころかますます強まったのであった。
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