群馬県護国神社とは? わかりやすく解説

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群馬県護国神社

読み方:グンマケンゴコクジンジャ(gunmakengokokujinja)

教団 神社本庁

所在 群馬県高崎市

祭神 護国神霊

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

群馬縣護國神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/26 16:02 UTC 版)

群馬県護國神社

鳥居と拝殿
所在地 群馬県高崎市乗附町2000
位置 北緯36度19分2.65秒 東経138度59分7.34秒 / 北緯36.3174028度 東経138.9853722度 / 36.3174028; 138.9853722座標: 北緯36度19分2.65秒 東経138度59分7.34秒 / 北緯36.3174028度 東経138.9853722度 / 36.3174028; 138.9853722
主祭神 群馬県出身関係国事殉難者
社格 内務大臣指定護国神社別表神社
創建 昭和16年(1941年
例祭 10月16日17日
地図
群馬縣護國神社
群馬縣護國神社 (群馬県)
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群馬縣護國神社(ぐんまけんごこくじんじゃ)は、群馬県高崎市にある神社護国神社)である。明治維新から第二次世界大戦までの群馬県出身関係の戦没者47274柱を祀る。

概要

明治42年(1909年)に群馬県招魂会が結成され、高崎公園内の英霊殿で毎年招魂祭を行っていた。昭和14年(1939年)制度改革により県ごとに護国神社を建てることになり、7月5日に群馬縣護國神社造営委員会が発足、昭和16年(1941年)11月8日に内務大臣指定護国神社に指定され、同年11月19日に支那事変に至るまでの戦死者3573柱を合祀した鎮座祭が行われた。その後大東亜戦争関係の戦没者を合祀し、現在は47274柱が祀られている。

第二次大戦後のGHQ占領下においては誠霊廟、後に上野神社と改称した。独立後の昭和29年(1954年)7月12日に元の社名に復した。

平成8年(1996年)7月1日、神社本庁別表神社に加列された。

  • 毎年五月上旬に雅楽管絃祭「管絃の夕べ」が無料で開かれている。
  • 平成21年3月には特攻勇士の像が建立された。

祭神の対象となっている戦役

  • 維新前後(元治元年‐明治2年)
  • 熊本の乱(明治9年)
  • 西南の役(明治10年)
  • 日清戦役(明治27年‐28年)
  • 北清戦役(明治33年‐34年)
  • 日露戦役(明治37年‐38年)
  • 韓国暴走鎮圧事件(明治40年‐42年)
  • 台湾理蕃(明治29年‐大正3年)
  • 大正三乃至九年戦役(第一次世界大戦シベリア事変)
  • 済南事変(昭和3年)
  • 満州事変(昭和6年‐11年)
  • 支那事変乃大東亜戦争

脚注

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