総理事へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 14:50 UTC 版)
1895年(明治28年)に大阪と別子から集まりやすいよう尾道市で、住友の重役会議である会議(「尾道会議」)の議長(総理事は広瀬宰平の辞職により空席となっていた)を務め、合議制とするなど経営の近代化を推進、この時住友銀行の創設が決まった(広瀬は銀行業を好まなかったと伝えられる)。 1897年(明治30年)1月、総理事心得に昇任、1899年(明治32年)に四阪島工事着手を見届けたのち新居浜を離任。この時の句が「五ヶ年の跡 見返れば 雪の山」。 1900年(明治33年)、総理事へ昇任。
※この「総理事へ」の解説は、「伊庭貞剛」の解説の一部です。
「総理事へ」を含む「伊庭貞剛」の記事については、「伊庭貞剛」の概要を参照ください。
- 総理事へのページへのリンク