網野町仲禅寺とは? わかりやすく解説

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網野町仲禅寺

読み方:アミノチョウチュウゼンジ(aminochouchuuzenji)

所在 京都府京丹後市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒629-3122  京都府京丹後市網野町仲禅寺

仲禅寺

(網野町仲禅寺 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/18 17:18 UTC 版)

仲禅寺
貴船神社
日本
都道府県 京都府
市町村 京丹後市
大字 網野町仲禅寺
人口
(2013年)
 • 合計 20人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
629-3122
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仲禅寺(ちゅうぜんじ)は、京都府京丹後市にある地名大字としての名称は網野町仲禅寺(あみのちょうちゅうぜんじ)。

地理

愛宕山の東麓に位置する[1]網野町の南東部にあり、東は弥栄町、南は峰山町に接している[2]。南部の山中に源流のある大橋川が北流し、並行して京都府道663号掛津峰山線が通っている[2]。細く伸びた谷に集落が形成されている[3]

丹後地方はうらにしと呼ばれる不安定な気候で知られる地域であり、中郡には「坂は照る照る仲禅寺はくもる 島の高尾は雨がふる」ということわざがあった[4]

歴史

中世・近世

吉祥院跡

地名はかつてこの地にあった中央山仲禅寺に因んでいるとされる[1]。天安2年(858年)に智証大師が開基となって創建された[1]。『丹哥府志』によると、永禄6年(1563年)に出火し、吉祥院以外の伽藍を焼失した[1]。丹後国寺社帳によると、吉祥院は仲禅寺焼失後の寺だという[5]。元和10年(1624年)には宥弁が吉祥院を中興したとされ[3]、『丹哥府志』によると、中興の際に真言宗に改宗したとされる。天和2年(1682年)の丹後国寺社帳には吉祥院の名がみられる[3]

慶長10年(1605年)の『慶長検地郷村帳』、延宝年間(1673年~1681年)に編纂された『延宝郷村帳』、天保年間(1830年~1845年)に編纂された『天保郷帳』では島溝川村に合算されている[1]。江戸時代はもっぱら宮津藩領だったが、享保2年(1717年)には幕府領となり、宝暦9年(1759年)には宮津藩領に戻った[1]。もとは島溝川村の枝郷だったが、明和5年(1768年)に仲禅寺村が分村したとされる[1]

宝永年間(1704年~1711年)に編纂された『宝永村々辻高帳』、明治時代初期に編纂された『旧高旧領』では268石余である[1]。修験僧の野田泉光院は、内記村から仲禅寺村に向かったことがあり、「中善村と云ふに観音堂、円成寺と云ふ大寺あり、寺中多し」と記している[3]

近代

嗚呼大震碑

1871年(明治4年)には廃藩置県によって宮津県の所属となり、その後豊岡県を経て、1876年(明治9年)には京都府の所属で落ち着いた[1]

1888年(明治21年)の戸数は28だった[1]。1889年(明治22年)には町村制施行により、仲禅寺村、島溝川村、掛津村、三津村、尾坂村の5村が合併して竹野郡島津村が発足し、島津村の大字として仲禅寺が設置された。吉祥院は大正年間まで仲禅寺集落の谷奥にあったとされる[3]

1927年(昭和2年)3月7日に発生した北丹後地震において、仲禅寺では総戸数30戸のうち97%に相当する29戸が倒壊し、10%に相当する3戸が焼失するという建物被害を受けた[6]。人的被害としては死亡率5%、負傷率5%を記録している[6]。仲禅寺は仲禅寺断層に沿った場所にあり、北丹後地震の主因となった地震断層の郷村断層から2.5kmの距離にあった[6]。震災一周年の1928年(昭和3年)3月7日、集落入口に石碑「嗚呼大震碑」が建立された[7]。北丹後地震関連の石造物の中では最も早く建立された記念碑である[7]

改宗時期は不明だが、吉祥院は真言宗から曹洞宗に改宗した[5]。1942年(昭和17年)までの吉祥院は独立した寺院だったが、いつしか無住となり、檀家は島溝川の蓮華寺に合流した[5]

現代

1950年(昭和25年)4月1日には島津村が網野町に編入され、網野町の大字として仲禅寺が設置された。1955年(昭和30年)時点の世帯数は27世帯、人口は153人だった[8]。1982年(昭和57年)時点の世帯数は19世帯、人口は89人だった[2]

2004年(平成16年)4月1日には網野町など6町が合併して京丹後市が発足し、京丹後市の大字として網野町仲禅寺が設置された。2010年(平成22年)から「仲禅寺 生命の里 写真コンサート」を開催している[9]

2011年(平成23年)には地元住民らが仲禅寺の生物に関する報告書をまとめた[10]。哺乳類10、鳥類26、両生類9、虫類162、植物249種など約500種が確認され、マダラウスバカゲロウヒメカマキリなど、京都府の絶滅危惧種・純絶滅危惧種の6種も含まれていた[10]。2013年(平成25年)には「仁王サミット 丹後建国 仲禅寺創建1300年祭」を開催した[9]

名所・旧跡

吉祥院跡の本堂
  • 貴船神社 - 神社明細帳によると祭神は高龗神(たかおかみのかみ)、神社明細取調書によると祭神は豊宇気比女神(とようけひめのかみ)[11]
  • 吉祥院跡 - 廃寺となった中央山吉祥院の跡地。仲禅寺区によって本堂が維持管理されている[5]
  • 嗚呼大震碑 - 北丹後地震の震災記念碑。震災一周年の1928年(昭和3年)3月7日に建立された[7]
  • 平八供養塔 - 仁王尊像の阿形を再興した仏師の平八の供養碑。

仁王尊堂

仁王尊堂

仁王尊堂に安置されている仁王尊像(一対の金剛力士像)が京丹後市指定文化財[12]

吽形は文明13年(1481年)造立である[12]。阿形が大破した後、寛延3年(1750年)には仏師が招かれ、宝暦3年(1753年)には阿形が再興された[5]。再興年7月7日には仏師の平八が離湖で遊泳中に溺死しており[5]、1979年(昭和54年)には平八供養塔が建立されている。

1978年(昭和53年)6月24日には仁王堂が復元され、仁王尊像が仁王堂に安置されたこともあり、毎年6月24日は集落によって「仁王の日」に制定された[13]。京丹後市には5寺院に仁王像が残っており、2013年(平成25年)には仲禅寺集落が他の寺院に呼び掛けて仁王サミットが開催された[13]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 下巻』角川書店、1982年、945頁。 
  2. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 下巻』角川書店、1982年、635頁。 
  3. ^ a b c d e 『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年、824頁。 
  4. ^ 網野町史編纂委員会『網野町史』網野町役場、1960年、5頁。 
  5. ^ a b c d e f 網野町誌編さん委員会『網野町誌 下巻』網野町、1996年、199-204頁。 
  6. ^ a b c 大邑潤三「1927年北丹後地震における建物倒壊被害と地形の関係」『自然災害科学』35巻2号、2016年、pp.121-140
  7. ^ a b c 京丹後市史編さん委員会『京丹後市の災害』京丹後市、2013年、206頁。 
  8. ^ 網野町史編纂委員会『網野町史』網野町役場、1960年、55頁。 
  9. ^ a b 仲禅寺区”. ふるさとわがまちわが地域. 京丹後市. 2025年10月15日閲覧。
  10. ^ a b 「仲禅寺地区は自然の宝庫」『京都新聞』2011年1月6日、丹後中丹B朝刊、19頁
  11. ^ 網野町誌編さん委員会『網野町誌 下巻』網野町、1996年、67頁。 
  12. ^ a b 仲禅寺仁王尊”. 京丹後市デジタルミュージアム. 京丹後市. 2025年10月15日閲覧。
  13. ^ a b 「ふる里の呼び名 仲禅寺」『京都新聞』2014年1月8日、地方版両丹B朝刊、21頁

参考文献

  • 網野町史編纂委員会『網野町史』網野町役場、1960年。 
  • 網野町誌編さん委員会『網野町誌 上巻』網野町、1992年。 
  • 網野町誌編さん委員会『網野町誌 中巻』網野町、1994年。 
  • 網野町誌編さん委員会『網野町誌 下巻』網野町、1996年。 
  • 『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 下巻』角川書店、1982年。 
  • 『京都大事典 府域編』淡交社、1994年。 

外部リンク



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