細川家時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/27 01:59 UTC 版)
1909年(明治42年)10,11月頃帰国し、細川護成の招きで細川家家扶となり、横手村北岡の家政所(細川家霊廟)に住み込んだ。1911年(明治44年)頃、胃腸を患い静養した。 1912年(大正元年)秋、小石川区老松町の東京家政所に移った。細川護立の代には赤坂区新坂町別邸で家政監督を務め、箱根山登山にも同行したほか、一条家と京都大徳寺・妙心寺・円福寺にも参禅した。 1930年(昭和5年)退職して帰郷し、黒髪町小磧橋畔に知足庵を営んだが、1931年(昭和6年)9月30日脳溢血で死去した。法名は一枝庵霊山自哲居士。
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