細川宗孝江戸城中横死事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 13:32 UTC 版)
「伊達宗村 (仙台藩主)」の記事における「細川宗孝江戸城中横死事件」の解説
延享4年(1747年)8月15日、江戸城内の厠で、熊本藩主・細川宗孝が旗本・板倉勝該に斬られて死亡した(経緯は細川宗孝の項または板倉勝該の項参照)。宗孝には御目見を済ませた世子がおらず、このままでは細川家は無嗣断絶になりかねないところ、その場にたまたま居合わせた宗村が機転を利かせ、「宗孝殿にはまだ息がある。早く屋敷に運んで手当てせよ」と細川家の家臣に助言した。そこで、家臣たちは宗孝の遺体をまだ生きているものとして藩邸に運び込み、弟の重賢を末期養子に指名して幕府に届け出た後で、宗孝が介抱の甲斐無く死去したことにして事無きを得たと言われている。
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