納富の姓の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 17:40 UTC 版)
日本では苗字が地名に由来することが多いことから、納富氏については、住所「佐賀県鹿島市納富分井手分」などの「納富」に由来すると安易に指摘されることがある。 しかしながら、この場合には「納富」に「分」が付いていることから、「納富分」とは、時の土地の権力者から「納富」氏の者に対して与えられた土地という意味合いのものであり、同様に「井手分」は、「井手」に「分」が付いていることから、「井手」氏の者に対して与えられた土地という意味合いのものである。 つまり、「納富」氏を名乗る者は、「納富分」という地名が誕生する前から存在していたことにつながる。 佐賀県鹿島市に存在する「納富分」は江戸時代から記録のある地名であるが、上述のとおり、納富信景は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将であることから、佐賀県鹿島市に存在する「納富分」が「納富」氏の由来とすると、時系列に矛盾が生じる。 また上述のとおり、納富氏は、「肥前国鹿島」に居住する前に「肥前国小城一帯に移り住んだ」のであり、戦国時代から現在に至るまで「肥前国小城一帯」(現在の小城市一帯)に「納富」姓の者が居住し続けている事実が存在する。 このとおり「肥前国小城一帯」(現在の小城市一帯)に居住し続けている「納富」氏は、「肥前国鹿島」に由来するものではない。 したがって、「納富」という苗字を安易に地名「佐賀県鹿島市納富分井手分」に結び付けることには無理がある。 事実、納富信景は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将であり、納富信景が「肥前国鹿島」に由来する事実は存在しない。 鎌倉時代から室町時代の武士の苗字は「役職」に由来したものも少なくはない。 「納富」は読んで字のごとく、「富」を「納める」、という「税」( 全国の御家人に所領内の公田の広狭に応じて賦課した関東御公事、その他、座役、棟別銭、土倉役・酒屋役 )に関する意味合いをもつ。
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