糸脈の真偽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 20:52 UTC 版)
山崎佐は、将軍徳川家綱の正室高厳院が乳がんにかかって亡くなった時の逸話を『医事談叢』で紹介している。それによると、奥医師らは高厳院を糸脈で診察するよう将軍から命じられた。医師たちは実際に脈を取らないと治療できないと進言したが、当の高厳院は、身分の卑しい者と直接対面するのを拒み、治療を受けずに死去した。これは医師を忌避する前章の事例とも重複するが、糸脈による診察が命じられており、ここから糸脈が実際に行なわれていた可能性が考えられる。 一方、江戸時代の鈴木桃野は随筆『無可有郷』の中で糸脈について触れ、糸脈という事を医家は常に行なっているけれども、実際に行なったという話はいまだに聞かず、ましてその方法は全く分からない、と記している。また『西遊記』に、孫悟空が糸脈の術を使う場面があり、それに由来するのだとも言う。更に江戸末期に加藤宜樹(かとううまき)は『南窓筆記』中で、糸脈は単に「系脈」の誤記にすぎないと書いている。
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