粟田飽田麻呂とは? わかりやすく解説

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粟田飽田麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/27 08:35 UTC 版)

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粟田飽田麻呂
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上肥後介
主君 桓武天皇平城天皇嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇
氏族 粟田氏
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粟田 飽田麻呂(あわた の あきたまろ)は、平安時代初期の貴族官位従五位上肥後介

経歴

宝亀8年(777年)または延暦23年(804年)に留学生として遣唐使に随行してに渡る。延暦24年(805年)帰国して、無位から正六位上に直叙される。

嵯峨朝の弘仁3年(812年従五位下諸陵頭に叙任される。その後、弘仁6年(815年豊後介を兼ね、弘仁14年(823年)には従五位上に叙せられている。

仁明朝の承和元年(834年)には肥後守官職にあったが、大宰府に滞在していた唐人の張継明を、勅命を受けて平安京に引率して入京させている。

官歴

六国史』による。

脚注

参考文献




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