粟田賢三とは? わかりやすく解説

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粟田賢三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/24 13:18 UTC 版)

粟田 賢三
人物情報
生誕 (1900-09-15) 1900年9月15日
日本長崎県
死没 1987年2月8日(1987-02-08)(86歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 哲学
研究機関 岩波書店
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粟田 賢三(あわた けんぞう、1900年9月15日[1] - 1987年2月8日[2])は、日本の哲学者編集者

経歴

出生から修学期

1900年、長崎県で生まれた。8歳で東京に移り、幼少期を過ごした。東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)、第一高等学校理科を卒業し、東京帝国大学文学部哲学科に進学。1925年に卒業した。

教員、その後編集者として

卒業後は教員となり、武蔵高等学校に勤務。1934年日本共産党に数百円の資金提供を行ったとして治安維持法違反の疑いで夫人とともに逮捕された[3]。1935年に出獄し、その後は岩波書店に勤務した。「K・P・A」の名で『思想』の「思想の言葉」を執筆していた。編集部副部長を務め、後に嘱託。古在由重などの哲学者と親しかった[4]。1987年に死去。

著作

著書
  • マルクス主義における自由と価値』青木書店(青木現代叢書) 1975
  • 『思想と現実』青木書店(青木現代叢書) 1977
共編
  • 『社会主義と自由』編、岩波新書 1954
  • 『岩波小辞典哲学』古在由重共編、岩波書店 1958
訳書
論文

脚注

  1. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、49頁。
  2. ^ 『人物物故大年表』
  3. ^ 共産党シンパの人物『東京朝日新聞』昭和9年5月22日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p544 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  4. ^ 『思想と現実』



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