範囲の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 16:05 UTC 版)
元々はヤマト王権の本拠地である奈良盆地の東南地域が、大和(やまと)と呼称されていた。『記紀』や『国造本紀』には、神武天皇の時代に豊玉彦命の後裔である椎根津彦を初代として倭国造が設置されたと伝わる。その後、ヤマト王権が奈良盆地一帯や河内方面までを支配するようになると、その地域(後の近畿・畿内)もまた大和と呼ばれるようになった。そして、ヤマト王権の本拠が所在した奈良盆地周辺を範囲とする令制国を大和国とした。さらには、同王権の支配・制圧が日本列島の大半(東北地方南部から九州南部まで)にまで及ぶに至り、それらを総称して大和と呼ばれるようになった。こうして日本列島、つまり日本国の別名として大和が使用されるようになった。
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