箱館龜田五稜郭御上水と製氷
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「亀田川」の記事における「箱館龜田五稜郭御上水と製氷」の解説
五稜郭の濠へ注入する用水、五稜郭の背後に作られた箱館奉行所役宅への給水、箱館奉行所への給水を目的として亀田川から上水が引かれた。五稜郭裏門際から約9町ほと離れている亀田川に堰を設けて、檜の板で作られた箱型の樋を地下に埋めて引き込んだ。濠の水は常に新しい水が流入し、飲むのに適していたので、冬に中川嘉兵衛が結氷を切り出した。1871年(明治4年)からこれを「函館氷」と銘打って京浜市場に送り、従来のアメリカ・ボストン産の輸入氷「ボストン氷」に品質面、価格面で好評を得る(かき氷の項目も参照)。1890年(明治23年)に五稜郭外壕貸与規則が変更されて競争入札になったのをきっかけに五稜郭から撤退。1891年(明治24年)は池田某、1892年(明治25年)からは京都の龍紋氷室の山田啓助が切り出していた。後、北海道は亀田川の切り替え工事に着手、取水口の屈曲部を切り替えてしまったので、濠へ水が入らなくなった。 役宅への給水は井上喜三郎(二代目備前喜三郎)の手による。
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