策定の経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/26 01:01 UTC 版)
左派社会党は、1951年の分裂後も、綱領を持たなかった。そのため1953年1月第10回大会で綱領を決定することが承認された。同年4月中央執行委員会で綱領委員会設置が決定され、委員長に和田博雄、幹事役に稲村順三、委員に伊藤好道、岡田宗司、清水慎三ら15名、顧問に芹沢彪衛、向坂逸郎、高橋正雄の3名が決定された。同年6月から8月にかけて委員会討議がおこなわれ、主に稲村順三が草案を執筆した。草案は労農派マルクス主義の立場に立つものであったが、この草案に対して、清水慎三が民族闘争を重視する対案(いわゆる清水私案)を9月下旬に提出した。綱領委員会での討議の結果、清水私案は否決された。11月中央委員会では綱領委員会の草案がそのまま決定され公表された。清水私案は下部討議に付されなかったが、一部の地方組織は清水私案を印刷配布し、綱領草案とともに活発な討論がおこなわれた。1954年1月第12回大会で、綱領草案は一部修正を経て300対54で決定された。
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