第51回思い出のメロディーとは? わかりやすく解説

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第51回思い出のメロディー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 03:41 UTC 版)

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第51回思い出のメロディー(だいごじゅういちかいおもいでのメロディー)は、2019年8月17日総合テレビを通して放送された音楽番組である。会場はNHKホール

司会者

東山紀之 (少年隊)
小野文惠 (NHK東京アナウンス室)
(両者共に初起用)

会場について

「わが心の大阪メロディー」の生放送が行われるNHK大阪ホール

ウラトーク進行

立川志らく
ミッツ・マングローブ
(両者共に初起用)

当日のステージ

・トップバッターは氷川きよしが務め、「TOKIO」(昭和55年沢田研二)を歌唱。

・氷川の歌唱後、横浜・八景島シーパラダイスより城みちるがリポート(歌唱前)をした。

(元フィンガー5)が「学園天国」(昭和45年)を歌唱(出場歌手かがバックで応援)。

・晃の歌唱後、円広志が「夢想花」(昭和53年)を歌唱。

・円の歌唱後、城みちるが「イルカにのった少年」(昭和48年)を歌唱(歌唱後、イルカと泳ぐ姿を披露)。

・城の歌唱後、西城秀樹(最多リクエスト歌手、レッツゴーヤング出演時の映像)が「ブルースカイブルー」(昭和53年)を歌唱。

・西城の歌唱後、森昌子が「おかあさん」(昭和49年・昔の森とデュエット)と「越冬つばめ」(昭和58年・円広志が作曲)を歌唱。

・森の歌唱後、「美空ひばり没後30年祈念企画」としてジェジュンが「愛燦燦」(昭和61年)を歌唱、丘みどりが「関東春雨傘」(昭和38年)を歌唱。

・企画終了後、島津亜矢が「I WILL ALWAYS LOVE YOU」(昭和49年・ドリー・パートン)を歌唱。

・島津の歌唱後、「全日本歌謡選手権」の企画が行われた。五木ひろし(鶴岡雅義純烈とコラボ)が「君は心の妻だから」(昭和44年・鶴岡雅義と東京ロマンチカ)を歌唱、天童よしみ(藤岡弘、とコラボ)が「姿三四郎」(昭和45年)を歌唱。

・企画終了後、上條恒彦が「出発の歌-失われた時を求めて-」(昭和46年)を歌唱。

・上條の歌唱後、二葉百合子が「岸壁の母」(昭和46年・菊池章子)を歌唱。

・二葉の歌唱後、小林幸子が「もしかして」(昭和59年・NHK紅白歌合戦で使用した衣装で)を歌唱。

・小林の歌唱後、大竹しのぶが東山の思い出のメロディーでもある、「ヨイトマケの唄」(昭和61年美輪明宏)を歌唱。

・大竹の歌唱後、7月にこの世を去ったジャニー喜多川の追悼企画が行われた。東山紀之が「アンダルシアに憧れて」(平成元年真島昌利)を歌唱、その後、中島健人(Sexy Zone)と佐藤勝利(同じくSexy Zone)と少年隊のヒット曲「君だけ」(昭和62年)・仮面舞踏会(昭和60年)を歌唱(「仮面舞踏会」のみ千賀健永二階堂高嗣が参加)。最後は(中島の決め台詞)「セクシー・サンキュー」と東山が述べ、番組は終了した。

外部リンク

第1回 思い出のメロディー - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス




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