第4次シリア戦争とアナトリア遠征
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「アンティオコス3世 (セレウコス朝)」の記事における「第4次シリア戦争とアナトリア遠征」の解説
反乱を鎮圧したアンティオコス3世は失地回復を目指し、紀元前219年にナバテア人などと同盟を結んで、まずエジプトの支配下にあったフェニキア、パレスチナ地方に進軍した(第4次シリア戦争)。順調に進軍して征服地を拡大したが、紀元前217年にエジプト王プトレマイオス4世は兵力を集めて迎撃に向かい、6月ラフィアの戦いで決戦が行われた。双方70000人前後の兵力を動員して戦ったが、アンティオコス3世は完敗を喫し、パレスチナ地方への拡大政策は頓挫した。 エジプトに敗れた後、アナトリアでポントス王国の支援を受けて自立していた総督アカエオスを打倒に向かった。紀元前214年までにアカエオスを倒すことに成功し、その意思を継いだ妻レオディケの抵抗も翌年には排して、アナトリア方面の領土を回復した。
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第4次シリア戦争とアナトリア遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 16:43 UTC 版)
「アンティオコス3世」の記事における「第4次シリア戦争とアナトリア遠征」の解説
反乱を鎮圧したアンティオコス3世は失地回復を目指し紀元前219年、ナバテア人などと同盟を結んでまずエジプトの支配下にあったフェニキア、パレスチナ地方に進軍した(第4次シリア戦争)。順調に進軍して征服地を拡大したが、紀元前217年にエジプト王プトレマイオス4世は兵力を集めて迎撃に向かい、6月ラフィアの戦いで決戦が行われた。双方70000人前後の兵力を動員して戦ったが、アンティオコス3世は完敗を喫し、パレスチナ地方への拡大政策は頓挫した。 エジプトに敗れた後、アナトリアでポントス王国の支援を受けて自立していた総督アカエオスを打倒に向かった。紀元前214年までにアカエオスを倒すことに成功し、その意思を継いだ妻レオディケの抵抗も翌年には排してアナトリア方面の領土を回復した。
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