第205高地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 13:55 UTC 版)
パケットと第8軍レンジャー中隊の名は、1950年11月25日の第205高地を巡る戦いでの勝利によって広く知られることになった。第205高地は清川江(英語版)を見下ろす戦略的要衝である。戦闘が始まった時、戦力はわずか51人のレンジャー隊員のみで、最も近い友軍部隊でさえ1マイル以上離れており、その上で全周から完全に包囲されていた。一方、夕方の時点でパケットが砲兵隊との調整を終えており、夜間の支援砲撃は可能だった。 22時00分、迫撃砲の一斉砲撃と同時に中国軍の総攻撃が始まった。中国軍は4時間半に渡って6度の攻撃を行ったが、パケットは自分たちを加害範囲に含むごく至近距離に対しての砲撃支援を要請してこれを退けた。戦闘の最中、パケットは何度か負傷している。1度目は手榴弾の爆発によって、2度目は彼が隠れた蛸壺壕の目前で起こった迫撃砲弾の炸裂によってである。これらの負傷によってパケットは倒れ、レンジャー隊員のデイヴィッド・L・ポーラック(David L. Pollack)とビリー・G・ウォールズ(Billy G. Walls)の両上等兵によって救出された。その後、パケットは後送され、1年間に渡って入院生活を送ることになる。
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