第15回阪神大賞典
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 05:16 UTC 版)
有力馬の多くが有馬記念に向かっていたこともあり、5頭立ての少頭数で行われ、キーストンは1番人気に支持されていた。スタートが切られると常の通り逃げを打ち、周回2周目の最終コーナーを回った時点では、スパートを掛けてきた後続に対して、山本は手綱を抑えたままであった。しかし直線を向いてスパートを掛けた際、ゴール手前約300mの地点で故障を発生。キーストンは前のめりにバランスを崩し、落馬した山本は頭を強打して脳震盪を起こし、一時的に意識を失った。キーストンは惰性で数十メートルを進んだ後に転倒したが、再び立ち上がって昏倒する山本を振り返り、故障した左前脚を浮かせた3本脚の状態で傍らへ歩いていった。この時、山本は一時的に意識を取り戻しており、以降の出来事について以下のように語っている。 「あー、えらいことになった、と思いましたが、気がつくとすぐそばに、キーストンがいたんです。ということは、そこから離れていったのに、また僕のところに帰ってきたわけですよね。そういうことは朧げに理解できました。それからキーストンは膝をついて、僕の胸のところに顔を持ってきて、鼻面を押しつけてきました。ぼくはもう、夢中でその顔を抱きましたよ。そのあと誰かが来たので(中略)その人に手綱を渡して『頼むわ』と言ったまでは覚えてるんですが、また意識がなくなりました」 — 渡辺敬一郎『強すぎた名馬たち』101-102頁 この様子を目の当たりにしたのは場内のファンに留まらず、テレビ中継においても一部始終が放映されており、実況を担当していた関西テレビアナウンサー・松本暢章は、声を詰まらせながら必死に様子を伝えた。キーストンは山本の手を離れて馬運車に収容された後、左第一指関節完全脱臼で予後不良と診断され、直後に安楽死の処置を施された。山本が再び意識を回復したのはキーストンが薬殺された後であった。
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