第11バージニア連隊
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「ダニエル・モーガン」の記事における「第11バージニア連隊」の解説
1777年早くにモーガンがワシントン軍に戻ると、ケベックでの功績を認められてモーガンは大佐に昇進していたことを知って驚いた。モーガンは新しい連隊に割り当てられその指揮を任された。これが大陸軍第11バージニア歩兵連隊であり、モーガンは4月までに400名の兵士を募って連隊を構築した。 モーガンによるライフル銃兵の徴兵試験はキャンプでの語り種となった。彼はイギリス軍の士官(時にはイギリス王ジョージ3世)の絵を描いた板を用意し、これを標的に100ヤード(約90 m)の距離から一発で撃ち抜いた者のみを採用した。この話を聞いたイギリス軍はモーガンを戦争犯罪人と見なすことになった。何故なら、特定個人を標的にするのは公正でなく、士官を標的にするのは露骨な嫌がらせと見たからである。 6月13日、モーガンは主力郡の主にペンシルベニア、メリーランドおよびバージニアの部隊から選抜された500名のライフル銃兵からなる軽歩兵部隊である暫定ライフル銃軍団の指揮に就いた。その中の多くの兵士は元々の第11バージニア連隊の出身だった。ワシントンはイギリス軍ウィリアム・ハウ将軍の後衛部隊を攻撃するよう命じた。モーガンはハウ軍がニュージャージを横切って全軍退却する間、攻撃を続けた。
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