第1期のヘンリー男爵とノーティントン伯爵
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「ヘンリー男爵」の記事における「第1期のヘンリー男爵とノーティントン伯爵」の解説
法律家でバース選挙区(英語版)選出のホイッグ党の庶民院議員でもあったロバート・ヘンリー(1708–1772)は、1760年5月27日にグレートブリテン貴族爵位のサウサンプトン州におけるヘンリー卿・ヘンリー男爵(Lord Henley, Baron Henley of Grainge in the County of Southampton)に叙せられ、1761年から1766年にかけて大法官を務めた。その在職中の1764年5月19日にグレートブリテン貴族爵位サウサンプトン州におけるノーティントンのノーティントン伯爵(Earl of Northington, of Northington in the County of Southampton)に叙せられ、1766年から1767年にかけては枢密院議長を務めた。 その息子である2代ノーティントン伯爵ロバート・ヘンリー(1747–1786)も襲爵前にハンプシャー選挙区(英語版)選出のホイッグ党所属の庶民院議員に選出され、財務省出納官(英語版)を務めていた。1772年に襲爵した後、1783年から1784年にかけてアイルランド総督に就任した。しかし子供がなかったため、彼の死とともにノーティントン伯爵位と第1期のヘンリー男爵位は廃絶した。
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