第四世界帝国の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:08 UTC 版)
「ダニエル書」には4番目の世界帝国が滅ぶ時に終末が訪れるとあり、それはギリシア人のマケドニア王朝と明示されている。しかしエウセビオスが生きた2世紀後半から3世紀にはマケドニアは既に滅び、5番目の帝国・ローマ帝国の属州(マケドニア属州)となっていた。この問題に対してもエウセビオスは聖書に「解釈」を加え、メディアとペルシアを纏めて2番目の帝国と解説し、ギリシアは繰り上がり3番目の、そしてローマを4番目の帝国と読み替え対応した。このようにエウセビオスは、第四世界帝国を以下のように読み換えた。 第一帝国=アッシリア 第二帝国=メディア・ペルシア 第三帝国=ギリシア(マケドニア) 第四帝国=ローマ この過程で、聖書に記載されたプル王(ティグラト・ピレセル3世)以降のアッシリアと、バビロン捕囚や「ダニエル書」の舞台となったカルデア(新バビロニア)が四世界帝国の座から脱落した。
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