第二次アドビウォールズの戦い
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「テキサスのインディアン戦争」の記事における「第二次アドビウォールズの戦い」の解説
第二次アドビウォールズの戦いはレッド川戦争の間に起こった。平原部族は自暴自棄が募り、バッファロー・ハンター達が自分達の食糧源かつ部族民の生存手段そのものを殺していることを認識したときだった。コマンチェ族、カイオワ族、シャイアン族など平原インディアンの合同によっておよそ700名の部隊となり、アドビウォールズの廃墟で宿営しているバッファロー・ハンター達を攻撃しようとした。1874年6月27日、同盟インディアン部隊はアドビウォールズで宿営している28人の猟師と1人の女性を襲った。守備側が眠っておれば攻撃側が期待したようにたちまち圧倒して全員が殺されていたであろう。クアナ・パーカーが提案したように攻撃側が損失を省みずにその建物に突撃しておれば、守備側はやはり圧倒されていたことだろう。しかし、守備側は目覚めており、その長距離射程バッファロー砲が攻撃を無意味にした。おそらくビリー・ディクソンが古き西部で最も有名なライフル使いとなった。このとき建物から1マイル (1.6 km) 離れた崖の上に座っていたインディアンを殺した。この時点でクアナ・パーカーは負傷し、インディアン達は攻撃を諦めた。これはインディアンが平原を守ろうとした最後の大きな試みであり、単に武器の差があまりに大きくて勝てなかった。
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