第二の黄金期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 01:28 UTC 版)
1966年、アラン・ハワードが辞め、後にルベッツのメンバーになるミック・クラークが加入し、アラン・ブレイクリー、リック・ウェストウッド、デイヴ・マンデンの4人で再出発。サイモン&ガーファンクルの「ブレスド」でデビュー。次のシングル『グッド・デイ・サンシャイン』のB面でミック・クラークが脱退、レン・“チップ”・ホークスが加入し、顔ぶれが一定する。 1967年、キャット・スティーヴンスの「君と踊ろう」がイギリスで4位を記録、そして次のシングル、フォー・シーズンズの「サイレンス・イズ・ゴールデン」が1位を記録。アメリカでも11位を記録し、デッカ・レコード時代よりも成功を収める。 1968年に発売されたボブ・ディラン作の「アイ・シャル・ビー・リリースト」にトレメローズは触発され、これ以降はブレイクリーとホークスが作曲コンビを作り、自作曲を多数作る。 他にも、「福と禍(Even The Bad Times Are Good)」「君だけの世界(Be Mine)」「虹の立つ丘(Suddenly You Love Me)」「マイ・リトル・レディ(My Little Lady)」「ぼくはナンバーワン(Call Me Number One)」といったヒットを1971年頃まで連発する。
※この「第二の黄金期」の解説は、「ザ・トレメローズ」の解説の一部です。
「第二の黄金期」を含む「ザ・トレメローズ」の記事については、「ザ・トレメローズ」の概要を参照ください。
- 第二の黄金期のページへのリンク