第七次憲法改正(維新憲法)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 07:36 UTC 版)
「大韓民国憲法」の記事における「第七次憲法改正(維新憲法)」の解説
1971年の大統領選挙で朴正煕大統領は3選を果たした。しかし、最大野党である新民党の大統領候補である金大中に激しく追い上げられた上に、直後に行われた国会議員選挙において、新民党が改憲阻止線の3分の1を大幅に上回る議席を獲得したことで、任期を延長するための憲法改正が事実上不可能になった。そのため、朴は1972年10月17日に非常戒厳令を全国に宣布した上で、国会の解散、政党などの政治活動を中止するなど憲法の一部条項の効力を停止、停止された機能を非常国務会議が代行するといった「10.17非常措置」を断行した。その上で、非常国務会議は1972年10月27日に憲法改正案を公告し、翌11月21日に国民投票での承認を経て、12月27日に公布された。この時の憲法改正は第七次改正で、通称「維新憲法」と呼ばれた。
※この「第七次憲法改正(維新憲法)」の解説は、「大韓民国憲法」の解説の一部です。
「第七次憲法改正(維新憲法)」を含む「大韓民国憲法」の記事については、「大韓民国憲法」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から第七次憲法改正を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から第七次憲法改正を検索
- 第七次憲法改正のページへのリンク