第百二号型駆潜特務艇とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 第百二号型駆潜特務艇の意味・解説 

第百二号型駆潜特務艇

(第一〇二号型駆潜特務艇 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 09:11 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
第百二号型駆潜特務艇
基本情報
種別 駆潜特務艇
運用者  大日本帝国海軍
要目
基準排水量 約80トン
水線長 26.00m
水線幅 4.50m
吃水 1.00m
機関方式 カーマス式ガソリン機関2基、2軸、1,000馬力
速力 15.0ノット
燃料 ガソリン
兵装 13mm単装機銃2艇、爆雷4個
テンプレートを表示

第百二号型駆潜特務艇(だいひゃくにごうがたくせんとくむてい)は、日本海軍駆潜特務艇。旧オランダ海軍アルジョエノ(Ardjoeno)級沿岸用掃海艇

概要

元はオランダ海軍がスラバヤで建造した沿岸掃海艇であり、沿岸の行動を想定された排水量およそ80トンの小型艇だった。102号など4隻は日本軍侵攻時、スラバヤで自沈していたところを捕獲かつ浮揚して整備し、艦籍に編入した。また、118号は建造中の船体を捕獲して建造を継続し、完成させた。

小型の船体ゆえに船団護衛には使用されず、同方面の各根拠地隊に配属され、湾岸防備用に使用されたと推定される[1]

終戦までに2隻が戦没し、残り3隻はオランダ軍に接収されたが、インドネシア独立の混乱で失われたようである[1]

同型艇

すべてオランダ海軍沿岸用掃海艇。建造所はスラバヤ工廠。

  • 102号 - 旧アルジョエノ(Ardjoeno)。1937年昭和12年)進水。1942年(昭和17年)3月2日スラバヤで自沈時捕獲。7月10日艦籍編入。沈没日不明、1945年(昭和20年)初頭に沈没と推定[1]
  • 104号 - 旧ガデー(Gadeh)。1937年進水。1942年3月2日スラバヤで自沈時捕獲。10月15日艦籍編入。1945年8月バタビアで接収される。
  • 109号 - 旧カウィ(Kawi)。1937年進水。1942年3月2日スラバヤで自沈時捕獲。12月20日艦籍編入。1943年(昭和18年)8月14日、バリクパパンアメリカ軍機の攻撃を受け沈没。
  • 110号 - 旧ラウォエ(Lawoe)。1937年進水。1942年3月2日スラバヤで自沈時捕獲。12月20日艦籍編入。1945年8月スラバヤで接収される。
  • 118号 - 旧サラク(Salak)。1942年3月スラバヤで建造中を捕獲。1944年(昭和19年)7月31日艦籍編入。1945年8月スラバヤで接収される。

脚注

  1. ^ a b c 『世界の艦船 日本海軍護衛艦艇史』p128。

参考文献

  • 世界の艦船 増刊第45集 日本海軍護衛艦艇史」海人社、1996年2月号増刊、第507集

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第百二号型駆潜特務艇」の関連用語

第百二号型駆潜特務艇のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第百二号型駆潜特務艇のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第百二号型駆潜特務艇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS