笛岡凌雲方丈から日露戦出征、沢田禅興和尚
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1899年(明治32年)春、遍参の志を抱き宗心寺を無断で出る。兵庫県氷上郡、圓通寺に掛錫。但馬浜坂町、竜雲寺の戒会で初めて笛岡凌芸方丈に出会う。翌1900年(明治33年)、笛岡凌雲方丈に随身。そして興道一人だけのために『学道用心集』『永平清規』などの講義をしたという。しかし12月には、名古屋の歩兵三十三聯陳に入営する。1903年(明治36年)12月に満期除隊するが、翌1904年(明治37年)3月に日露戦争へ出征する。8月に重傷を負って11月に傷病兵として帰郷するも、奉天会戦のために再出征して1906年(明治39年)1月にようやく帰国する。8月、宗心寺沢田禅興和尚に就いて伝法嗣法。秋、真宗高田派専門学校に入学。
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