笙野頼子との論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:31 UTC 版)
大塚が1980年代に主張した「売れない純文学は商品として劣る」との主張に対して、1998年頃、作家笙野頼子が抗議し、純文学論争となる。さらに、2002年には、笙野は『ドン・キホーテの侃侃諤諤』を発表して大塚の見解を、文学に商品価値のみを認める見解であり、芸術としての文学に害を及ぼすものだと批判した。これに対して大塚は、『不良債権としての「文学」』で、漫画雑誌の売り上げによって文芸誌の採算の悪さが補われていると主張してそれを批判の根拠とし、対症療法として提案した「既存の流通システムの外に文学の市場を作る」ために、また文学の書き手と読者が出会うための文芸誌ではない具体的な場として「文学フリマ」を主催したが、これに関しても笙野は、第1回だけに大塚がかかわり、その後事務局体制に移行したことを批判している。笙野の立場は純文学の徹底擁護であり、大塚のような考え方が出てくる背景として、高給取りの編集者こそが「文学は駄目だ駄目だ」という声を発していると指摘している。
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