竹之房創始・日元の子とする説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/01 15:36 UTC 版)
「日進 (身延3世)」の記事における「竹之房創始・日元の子とする説」の解説
日進の誕生を正元元年(1259年)と著す「本化別頭仏祖統紀」では、日進は平安時代中期の武将・安倍貞任の子孫で父は久本房日元とされる。日元は甲斐(現・山梨県白根町)に生まれ、松葉谷(現・神奈川県鎌倉市)の草庵で日蓮に教化されて出家、文永11年(1274年)日蓮が身延に入山すると、近くの沢に庵室を構えて、3人の子と共に日蓮の弟子となって仕えた。日蓮没後、身延山は本弟子・六老僧が交代で守る事となったが、その際に身延沢の庵室は日元が師事した六老僧・日朗の住居となり、のちに正法院竹之房と称した。日朗は東京都大田区にある大本山・池上本門寺2世である。 前述の「本化別頭仏祖統紀」は日元の3人の子について、長男が身延3世の日進、次男が身延4世の日善、3男が日上と著している。日上は竹之房4世と伝えられ、「身延山略譜」には竹之房3世は日進とある。竹之房の開基については日朗説と日元説がある。
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