競走馬デビュー後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/31 10:07 UTC 版)
父・オグリキャップの2代目の馬主である近藤俊典によって購入されたオグリワンは、やはり父と同じ瀬戸口勉調教師のもとで、父オグリキャップにも騎乗した武豊を鞍上にデビュー(4着)。折り返しの新馬戦で初勝利を挙げ、フェニックス賞(7着)を経て、小倉3歳ステークスに石橋守鞍上で出走して2着。ききょうステークスで2勝目を挙げる。 4歳になると、アーリントンカップ、若葉ステークスをともに4着とし、皐月賞に挑むが、ジェニュインの16着と惨敗。続く日本ダービーもタヤスツヨシの17着と惨敗し、結局4歳以降は1勝もできず、地方競馬に移籍した。 名古屋競馬所属時は3勝を挙げ、中央競馬のテレビ愛知オープンとアンタレスステークスにも出走したがともに惨敗している。2000年11月に高知競馬に移籍し7戦2勝を挙げ、2001年に登録抹消。 競走馬生活引退後は、ファン有志で結成された「オグリワンの会」に引き取られて長野県佐久市のスエトシ牧場で余生を送っている。
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