空手道部創設とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/26 22:39 UTC 版)
1958年(昭和33年)、御茶ノ水の専門課程へ進学した谷口は、大学の学友会に空手道部の創設をただちに申請した。学友会の規則に従い最初は同好会としての発足となるが、精力的に練習、合宿等を行い、9月には正式に空手道部として認められ、谷口は初代主将に就任した。谷口の大学卒業後、1965年(昭和40年)に祝嶺は躰道を創始し、それに伴い空手道部は躰道部と名称変更しているが、現在も躰道界で最も歴史と伝統のある部として活動している。谷口は晩年、躰道本院最高会議議長を務め、2005年(平成17年)には、祝嶺との出会いを軸にした自叙伝「玄制流空手道と躰道の創作を顧みる 天才武道家とその弟子の歩み」を上梓した。
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