秀姫伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 04:15 UTC 版)
「陽雲寺 (埼玉県上里町)」の記事における「秀姫伝説」の解説
詳細は「三条の方」を参照 当寺には、下記のような武田信玄の継室三条夫人「秀姫」(以降、「秀姫」とする)の伝説が伝わっている。ちなみに史実では、三条夫人の本名は不明であり、信玄に先立つこと1570年(元亀元年)に亡くなっている。 秀姫は、1568年(永禄11年)の駿河侵攻が開始された頃に出家し、河窪信俊を養育していた。信俊は信玄の甥にあたり、後に徳川家康に召し出されて、当地を所領として与えられた。信俊は秀姫とともに所領に赴き、廃寺状態だった当寺を再興し、秀姫を住まわせた。秀姫は当寺で余生を過ごし、1618年(元和4年)に97歳で世を去ったという。 秀姫が三条家の出身であることから、明治になり三条実美が自筆の扁額や刀を奉納している。
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