陽雲寺 (埼玉県上里町)とは? わかりやすく解説

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陽雲寺 (埼玉県上里町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/11 02:46 UTC 版)

陽雲寺
所在地 埼玉県児玉郡上里町金久保701
位置 北緯36度15分52.0秒 東経139度8分3.7秒 / 北緯36.264444度 東経139.134361度 / 36.264444; 139.134361座標: 北緯36度15分52.0秒 東経139度8分3.7秒 / 北緯36.264444度 東経139.134361度 / 36.264444; 139.134361
山号 崇栄山[1]
宗派 曹洞宗
創建年 弘仁11年(820年
開山 慈覚大師円仁
中興年 室町時代末期【第1次】、安土桃山時代【第2次】
中興 斎藤氏【第1次】、河窪信俊【第2次】
文化財 銅鐘(埼玉県指定有形文化財)、他
法人番号 5030005009129
陽雲寺
陽雲寺 (埼玉県)
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陽雲寺(よううんじ)は、埼玉県児玉郡上里町にある曹洞宗寺院

歴史

820年弘仁11年)、慈覚大師円仁によって開山された。当初は「満願寺」という名称であったが、室町時代末期に斎藤氏によって再興し、「崇栄寺」に改称された。しかし、神流川の戦いの兵火で廃寺状態となった。その後、徳川家康の家臣河窪信俊によって再再興され、「陽雲寺」に改称された[2]

秀姫伝説

当寺には、下記のような武田信玄継室三条夫人「秀姫」(以降、「秀姫」とする)の伝説が伝わっている[2]。ちなみに史実では、三条夫人の本名は不明であり、信玄に先立つこと1570年元亀元年)に亡くなっている。

秀姫は、1568年永禄11年)の駿河侵攻が開始された頃に出家し、河窪信俊を養育していた。信俊は信玄の甥にあたり、後に徳川家康に召し出されて、当地を所領として与えられた。信俊は秀姫とともに所領に赴き、廃寺状態だった当寺を再興し、秀姫を住まわせた。秀姫は当寺で余生を過ごし、1618年元和4年)に97歳で世を去ったという。

秀姫が三条家の出身であることから、明治になり三条実美が自筆の扁額を奉納している。

文化財

  • 銅鐘(埼玉県指定有形文化財 昭和39年3月27日指定)[3]
  • 十五仏古画(上里町指定有形文化財 昭和37年2月22日指定)[4]
  • 古銅正観音立像(上里町指定有形文化財 昭和37年2月22日指定)[4]
  • 釈迦如来像(上里町指定有形文化財 昭和37年2月22日指定)[4]
  • 銅鐘(上里町指定有形文化財 昭和37年2月22日指定)[4]
  • 三条実美公寄贈野剣(上里町指定有形文化財 昭和37年2月22日指定)[4]
  • 伝武田信玄・陽雲院夫妻画像(上里町指定有形文化財 昭和49年2月22日指定)[4]
  • 陽雲寺中世文書(上里町指定有形文化財 昭和49年2月27日指定)[4]
  • 陽雲院之墓(上里町指定史跡 昭和37年2月22日指定)[4]
  • 畑時能供養祠(上里町指定旧跡 昭和37年2月22日指定)[4]

交通アクセス

脚注

  1. ^ 新編武蔵風土記稿 金窪村.
  2. ^ a b 稲葉博 著『関東古社名刹の旅(千葉・埼玉・神奈川編)』読売新聞社、1986年、124-125p
  3. ^ 埼玉県文化財目録埼玉県、65p
  4. ^ a b c d e f g h i 上里町の指定文化財上里町

参考文献

  • 稲葉博 著『関東古社名刹の旅(千葉・埼玉・神奈川編)』読売新聞社、1986年
  • 「金窪村 陽雲寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ245加美郡ノ3。NDLJP:764012/95 



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