福山藩士時代
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七代目福山藩主阿部正弘の時、江戸詰めとなり小姓として仕えた。江戸詰めのとき、玉心流の剣術を習得し、その肝煎役(世話役)となっていた。 1860年3月24日(万延元年3月3日) 、上巳の節句のお祝いに江戸城に諸侯総登城の日、藩主阿部正教に従って江戸城に登城中、桜田門外の変を目撃した。 その後京都禁闕(宮中)の御守護役に就いた。この時代有名な画家であった田能村直入に師事して南画を学んだ。 第一次長州征伐に従軍し、その後は大目付役、大阪御留守居役の大役を歴任した。 1871年8月29日(明治4年7月14日)の廃藩置県により家禄を失う。
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