神津康雄とは? わかりやすく解説

神津康雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/13 14:19 UTC 版)

神津 康雄(こうづ やすお、1919年2月27日 - 2013年4月16日[1])は、日本の内科医医学博士[2]日本寮歌祭を主催する日本寮歌振興会の委員長を1964年から30年以上務めた。

経歴

長野県北佐久郡志賀村(現、佐久市)の豪農・神津「赤壁家」に生まれる。 旧制山形高等学校から、1944年東北帝国大学医学部卒業、同医学部内科教室(教授・黒川利雄)に入局。1951年青森県浪岡町立病院(現・青森市立浪岡病院)院長。1954年東京都世田谷区若林に自宅開院。

日本寮歌祭には1962年に山形高校参加にあたって中心となって以来、1964年には日本寮歌振興会委員長、2002年には日本寮歌祭会長となった。

日本寮歌祭会長、日本寮歌振興会委員長、東京校歌祭会長、旧制高等学校懇話会代表、海軍櫻医会会長、日本臨床内科医会会長(1989年就任、のち名誉会長)、日本医師会常任理事(1982年 - 1984年)、東京都医師会理事、東京内科医会会長、東京都各科医会協議会会長、世田谷区医師会会長、日本の高等教育を考える会専務理事、日本病院管理教育協会理事長、東京尚仁会会長などを歴任。

著書

  • 「何処へ行く日本の医療」 真世界社、1978年
  • 「青春の譜 ― 日本寮歌祭30年の歩み」 国書刊行会、1990年
  • 「随処に主となる」 国書刊行会、2006年

脚注

  1. ^ 日本寮歌振興会会長、神津康雄氏が死去”. 産経新聞. 2013年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月24日閲覧。
  2. ^ 論文、「結核結節に於ける血管及び巨態細胞の成因に就て」、東北大学。博士論文書誌データベース

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