神代、上代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 03:41 UTC 版)
宗像神(宗像三神)として奉じられる。 海洋豪族として、宗像地方と響灘西部から玄界灘全域に至る膨大な海域を支配した。 古事記に「多紀理毘賣命者、坐胸形之奥津宮。次市寸嶋比賣命者、坐胸形之中津宮。次田寸津比賣命者、坐胸形之邊津宮。此三柱神者、胸形君等之以伊都久三前大神者也。」とあり、宗像三女神がそれぞれ沖津宮、中津宮、辺津宮に鎮座とする。(「宗像三女神」、「宗像大社#歴史」も参照) 仲哀天皇の頃、神功皇后が三韓征伐の直前に来宗した際に、宗像氏が宗像大神に神助を賜う。 雄略天皇が新羅に親征しようとしたが、宗像三女神のお告げにより中止する。また、日本書紀雄略9年2月凡河内香賜と采女を宗像(胸方)神社へ遣わした記述がある。 日本書紀などによると、筑紫君磐井の乱の後、ヤマト王権を背景とし宗像氏の勢力が筑後国の領域まで影響を及ぼす。 古事記には「胸形」、日本書紀には「胸肩」、「胸形」、「胸方」の文字が見える。
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